人生において何の役にも立たないポンコツブログ

人生において何の役にも立たないポンコツな記事を書いていきます。まったく役に立たないくだらない記事ばかりですが、疲れたときに見てクスッと笑えるような癒しのブログです。

常日頃から幸せを感じることを習慣化させよう。

幸せを感じることを習慣化させる。

 

 

どんな些細なことにも、当たり前のことにも

 

 

「今って幸せだよな~」

 

 

とあえて意識的に感じる癖をつけた方がよい。

 

 

「幸せなんて無意識に感じるものであって、感じようと思って意識的に感じるものじゃない」という声もあるだろうが

 

 

人間には「意識的に」何か物事を考えたり、行動を変えていったりするというのも実は有効なのだ。

 

 

「つらい時には笑えばいい」なんてよく言うけれど、意外と効果はゼロではないと思っている。

 

 

泣いて泣いて泣きやんだら、思いっきり意識的にくしゃくしゃの笑顔で笑ってみる。

 

 

すると意外にも心は軽くなりスッキリするものだ。

 

 

どんよりした空気を少しでも変えるにはやはり「意識」の力を借りた方がよい。

 

 

そんな訳で

 

 

常日頃から幸せを感じることを習慣化させよう。

 

 

たとえば今普通に息をしているが、それ自体がもう幸せでたまらないものだと思う。

 

 

美味しい物を食べることができる。

 

 

美味しい物を美味しいと感じることのできる舌がある。

 

 

誰かとくだらない話で笑い合える幸せ。

 

 

温かいベッドと布団で寝ることができるという幸せ。

 

 

仕事後にラフな格好に着替えてグーッとビールをやれる幸せ。

 

 

そういう些細なことにも

 

 

「あ~幸せ!ありがたいな~!!」

 

 

と思うことは大事だ。

 

 

かなり大事なのである。

 

 

なぜならその積み重ねがいつか人生を振り返ったとき、

 

 

とてつもない豊かな人生だったと思えるから。

 

 

いつか成功できる…

 

 

いつか金持ちになれる…

 

 

そしたら自分の人生は変わるんだ…

 

 

と思い続けるのは構わないが

 

 

それで一心不乱に躍起になりすぎて目の前の幸せ、足元に転がっている小さな幸せに気づけないのは悲しい。

 

 

いつか成功してやるんだ!!

 

 

と思うことは大事だ。

 

 

だけど

 

 

その過程すらも楽しんで欲しい。

 

 

失敗も挫折もあるだろうけど、それにすら感謝だ。

 

 

そこから学べることがあるのだから。

 

 

大きな失敗や絶望というのは誰にでも与えられるものではない。

 

 

挑戦した人、チャレンジした人にのみ与えられる特権だ。

 

 

焦り、不安、迷いを感じることもあるだろうけど

 

 

それすらも一度冷静になって考えてみて欲しいのだ。

 

 

焦り、不安、迷いを感じている。

 

 

これは間違いなく、これは確かに

 

 

人生を生きているってことだ。

 

 

当たり前に生きているから気づけないけれども

 

人生って想像以上に、想像の遥か上をいくレベルで

 

 

かけがえなく、愛おしいものなのだ。

 

 

一瞬一瞬を大切に。

 

 

毎日、充足感を感じよう。

 

 

綺麗事でもかっこつけている訳でもなんでもなく

 

 

愛と感謝に満ち溢れ

 

 

常日頃から幸せを感じることを習慣化させよう。

 

 

このブログを読んでくれてありがとう。

「稼ぐこと」「モテること」は卑しいことでも何でもない。

清貧な思考を持ち合わせた人間というのは意外と多い。

 

 

・自分だけ贅沢をするなんて悪い気がする。

 

 

・お金を稼ぐことに罪の意識を感じる。

 

 

・圧倒的にモテることでその裏で誰かを泣かせて傷つけてしまうんじゃないか。

 

 

大丈夫。

 

 

我々にそこまでの影響力はない(笑)

 

 

かっこつける必要はないのだ(笑)

 

 

例えば

 

 

リスクを負って、様々な代償を捧げて頑張って、必死で成功を掴み取った人間が

 

 

稼ぐのは当然だし、モテるのも当然だ。

 

 

そのリターン、恩恵はありがたく頂くべきだ。

 

 

誰しもFacebookマーク・ザッカーバーグになる必要はない。

 

 

詳しい人はご存じだろうが、マーク・ザッカーバーグは自らの資産をほぼ慈善事業に寄付しているという、もはや仏様というか神様のような存在だ。

 

 

何が良い、悪いかという問題ではない。

 

 

ただ

 

 

成功することに後ろめたさとか遠慮なんか感じる必要はない

 

 

ということだ。

 

 

だって悪いことなんかしていないんだから。

 

 

こんなに売れちゃっていいのかな?

 

 

とか戸惑う必要もない。

 

 

自信のある商品が売れた、力の入れているサービスが認められた

 

 

そこは自信をもっていいのだ。

 

 

これぐらい売れて当然だ!!

 

 

と。

 

 

ただし「勝って兜の緒を締めよ」である。

 

 

調子に乗らず、謙虚さと素直さを忘れず、さらに精進する。

 

 

このサムライみたいな精神も大事にすべきである。

 

 

もう一度言おう。

 

 

「稼ぐこと」「モテること」は卑しいことでも何でもない。

 

 

誰かをハッピーにしたいのであれば、まずは自分自身が最高にハッピーになることだ。

 

 

自分が幸せじゃないのに、誰かを幸せにすることなんてできないのだから。

 

 

一度キリの人生、思いっきり楽しもう!!!

「自己否定」できる人間だけが成長できる。

自己否定

 

というと何やら自分の存在を完全に否定する、といったようなネガティブなイメージがあるかもしれない。

 

しかしながら、この自己否定にこそ人間としての成長の鍵があると思っている。

 

例えばだが

 

スポーツ選手なんかがそうだ。

 

負けた試合のインタビューで

 

「今日の試合は全然ダメでした。もっと自分に集中力があれば。もっと自分に実力があれば勝てていました」

 

このような話をする選手というのは多い。

 

これは完全に自己否定である。

 

これがもし

 

「いや、自分は悪くないです。運が悪かっただけです。今日は天気も悪かったし、まあ、しょうがないっすよ」

 

みたいなことを言うようなら成長はない。(まあ、こんなことを言うプロ選手はまずいないだろうが)

 

自己否定というのは結構大変で、面倒なことだったりする。

 

だって自分の悪い部分を徹底的に見つけ出して客観視して、ダメ出しするという行為なのだから。

 

誰だってそんな気の滅入ることはしたくない。

 

だけどそれをしないと自分の足りない部分や悪い部分というのに気づけない。

 

 

 

最近、胸の痛いニュースが話題になっている。

 

25歳の容疑者の男が高速道路で運転妨害をして、4人家族の車に事故を起こさせたという事件である。

 

4人家族の夫婦は亡くなり、娘さん2人が残されたというとても胸が痛い事件だ。

 

容疑者は高速のパーキングエリアで駐車スペースがなかったので通路に車を停めていたらしいのだが、それをその4人家族の旦那さんに注意されたらしい。

 

普通に考えて通路に車を停めている容疑者の男が悪い。

 

だが注意されたことが気に食わず、その男は高速道路にてその4人家族の車を執拗に追いかけ回し、運転妨害をしたらしい。嫌がらせ行為というやつだ。

 

なんでも追い越し車線にて車を停止させるようなことをしたという。

 

そこに後方からトラックが来て追突。

 

その結果、夫婦二人が亡くなる事故を招いた。

 

そのトラックの運転手さんも気の毒だ。

 

この容疑者の男、まあ名前は石橋和歩というのだが、石橋容疑者はおそらく

 

自己否定をしてこなかった人間だ。

 

自分は何も悪くない、自分が世界の中心だ、俺は凄い、俺は偉い、俺は特別だ、俺に指図するな、ふざけんじゃねえ、周りはみんな俺より格下だ

 

大体こういう思考の持ち主なんじゃないだろうか。

 

お年寄りが運転する車にも運転妨害をしたり、因縁をつけていたりもしたそうだ。

 

ハッキリ言って

 

本当に気持ちが悪い。

 

自分がどんな人生を送ろうがそれは勝手だし知ったこっちゃないんだけど

 

他人を巻き込むなよ、と言いたい。

 

他人を傷つけるなよ、と言いたい。

 

 

去年だか今年の成人式のニュースでも意味不明なヤンキーが

「人の迷惑とか考えないの?」とインタビューされて

 

「世界の中心は俺だから。俺が楽しければそれでいい」

 

と言っていたのを思い出した。

 

本当に気持ち悪い。

 

自分に絶対的な自信を持つことと、ただのわがままな勘違いとは大きく違う。

 

自己否定を繰り返し、努力し、改善し、己との対話を繰り返したその先にゆるぎない自信が生まれる。

 

自分の悪い部分も、ダメな部分も知っているからこそだ。

 

だが

 

自己否定なんか何もせず、自分の悪い部分に目を向けようともせず、自分は生まれながらに足りない部分なんて一つもないと思い込み、わがままなガキがそのまま大人になってオラオラと吠えているのは

 

ただの痛い勘違いだ。

 

こういうバカにつける薬があればいいのにと本当に思う。

 

 

しかしなぜ自己否定ができないのか。

 

それは

 

他人の気持ちを考えることができないからではないだろうか。

 

ビジネスでもなんでもそうなのだが、成功する人というのは圧倒的に他人の気持ちを考え抜く。

 

何を求めているのか、何が喜ばれるのか、自分だったらどういう気持ちになるだろうか、これは自己満足になってはいないだろうか

 

そういったことを常に考え続けている。

 

だからこそ成功できる。

 

だってビジネスというのは

 

人を相手にしているものだから。

 

人の気持ちが分からなければダメなのだ。

 

人の気持ちを考える。

 

思いやり。

 

そこから始まる自己否定。

 

相手のためにもっと役に立ちたい。

 

そのためにはどうすればいい?

 

今の自分のままじゃダメかもしれない。今の自分じゃ役不足かもしれない。

 

じゃあもっと頑張ろう。

 

具体的になにを頑張る?

 

○○をもっとマスターする。△△はもっと改善する。あと□□もあった方がいいかもな。

 

こういったことの繰り返しだ。

 

自己否定の大切さ

 

常に忘れずに素直に謙虚に生きていこう。

 

自分は特別な存在でもなんでもない。

 

だからこそ努力しなければいけない。

 

世界トップレベルのイチローだって努力の鬼なのだ。

 

それに比べて名もなき我々が努力もせずふんぞり返っていたらそれこそ話にならない。

 

不足感も受け入れて楽しみながら、それすら充足感に変えて生きていきましょう!!

保育園のときに保母さんのお尻を触った話。

むかしむかし、あるところに小さな小さなド変態がいましたとさ…

 

 

これから私が面白おかしく語ることは正真正銘の実話であることを約束する。

 

 

そう、あれは私が保育園のときだった。

 

下の毛なんざ全然生えてる訳もない。

 

「子供がどうやってできるのか」なんてことも知る由がない幼い頃の話。

 

しかし、なぜだろう。

 

今思うと

 

オスとして本能的なエロスはその頃から潜在していたのだな。

 

私が通っていた?預けられていた?保育園ではお昼寝の時間があった。

 

まあ、お昼寝の時間なんてどこでもあるとは思うのだが。

 

そのお昼寝の時間で事件は起きた。

 

保育園の大広間?的な場所でみんなで布団を敷き詰めて自由に寝るのだ。

 

2時間ぐらい寝るのだろうか?

 

いや、もっと短い時間だっけ?

 

そこらへんの詳しい部分は全然覚えていないのだが、とにかくお昼寝タイムがあったのだ。

 

遊び疲れてすぐにぐっすりと眠る園児もいれば、一向に全然寝ようとしない園児もいた。

 

寝たいけど眠れない園児もいる。

 

そんな園児達をなんとか寝かしつけようと、保母さんたちは近くに添い寝してくれたり、子守歌なんかを歌ってくれるのだ。

 

私はその時いわゆる、寝たいけど眠れない園児だった。

 

目が冴えてしまって全然眠れない。

 

周りの園児達はみんな寝静まっている。

 

目を覚ましているのは私だけだった。

 

すると一人の保母さんが近くにやってきた。

 

保母さんが「○○君、眠れないの?」と私に声をかけてくる。

 

私は「うん、ぼく眠れないの。」と子供の特権を全力で活かしたカワイイ声で返事をする。

 

するとどうだろうか。

 

その保母さんは私の真横に添い寝する形で寝そべってくれた。

 

私のお腹あたりをポンポンと優しく叩きながら子守歌を歌い始めてくれたのだ。

 

なんて優しい歌声だ。

 

まるで女神のメロディーライン。

 

そう、そして私は

 

 

寝たフリをした。

 

 

ハッキリいってそんな子守歌で眠れる訳がない。

 

だがせっかく頑張って歌ってくれているので、私も子供なりに気を遣って、寝たフリをしてあげた。

 

「すーすー」なんて寝息を立てるフリを続けた。

 

稚児の空音とはまさにこのことだ。

 

しかしそれから数分後、どうだろう。

 

なんと

 

 

保母さんの方が寝息を立てて熟睡しているではないか

 

 

私はそのとき瞬時に思った。

 

なんの迷いもなかった。

 

一瞬にしてこう思ったのだ。

 

 

よし、お尻触ろう。

 

人生にはそう多くはないチャンスの時。

 

今がまさにその時だ!と子供ながらに察したのであろう。

 

お互いに横になっているシチュエーション。

 

私は寝たままの姿勢で、隣で熟睡している保母さんのお尻をさりげなく触ろうという作戦に出た。

 

そして勇気を出して、保母さんの腰のあたりに手を回す。

 

下から手を潜り込ませる。

 

 

ドキドキした。

 

 

もし私がお尻を触ろうとしている瞬間に保母さんが目を覚ましたらアウトだ。

 

「エロガキ」のレッテルを張られてその後の私の保育園生活に支障がでる。

 

そーっと慎重に、呼吸を整えながらおそるおそる、手をお尻まで持っていく。

 

そして数分後、私のゴッドハンドはようやく

 

 

保母さんのお尻を見事にキャッチした。

 

 

グッとお尻を鷲掴みにしているような感じを想像して貰えればよろしい。

 

私は感動した。

 

これがエロという感情なのかどうか、その時はまだ知らなかった。

 

ハッキリ言って勃起はしていなかったと思う。

 

ただよく分からないのだが、おそらく本能的に

 

 

隣で寝ている女のお尻を触ろうと思ったのだ。

 

 

そして何を思ったのだろうか。

 

私は調子に乗っていたのだろうか?

 

なぜかそのとき

 

 

ちょっとお尻をつねったりもした。

 

今思うと本当にチャレンジャーである。

 

というかアドベンチャーである。エクスプローラーともいえる。

 

そんなこんなでしばらくお尻をこねくりまわして遊んでいた。

 

そして何事もなかったかのようにお昼寝タイムは終了し、その保母さんも目を覚まして、楽しい時間は終わりを迎えた。

 

今思うと

 

それこそ今思うとなのだが

 

あのとき

 

実は保母さんは目を覚ましていたのではないか?と思う。

 

じつは意識はあったのだ。

 

だが子供にお尻を触られているというある種、希少価値の高い体験に快感を感じ、そのシチュエーション自体に酔いしれ、あえて身をゆだねていたのかもしれない。

 

なんということだ。

 

実にけしからん。

 

保母さんも所詮は一人の女ということか。

 

いや~しかし

 

今思うと本当に面白い時間だった。

 

ちなみに最後にこれだけは伝えておきたいのだが

 

その保母さんは

 

 

超絶ブスなオバサンだった。

 

 

ピグモンみたいな感じね。

インスタで稼げるビジネスに興味なんかねーよ。

インスタをやっていると

 

 

「インスタで稼げるビジネスに興味ありませんか?」

 

 

とかいきなり訳のわからない変な生物からコメントが来たりする。

 

 

「どんなやつだろ?」と思ってその生物のアカウントに飛び、投稿を見てみると

 

 

海外リゾートの写真(本当に本人が行ってるのかは謎)だったり

 

 

札束の写真だったり

 

 

ブランド品の写真だったり

 

 

なんかセレブチックな写真ばかりがポストされている。

 

 

そんで話は戻るのだが

 

 

インスタで稼げるビジネス?

 

 

スマホ一つで誰でも簡単に楽々稼げる?

 

 

興味ねーよ。

 

 

だって

 

 

つまんなそうだから。

 

 

札束の写真とか見せられても別に

 

 

楽しそうな匂いが全然しないんだよな。

 

 

金のためだけにやるビジネスなんて絶対につまんないと思う。

 

 

ただそれだけ。

 

 

 

追伸

 

インスタを面白く活用したビジネスなら全然興味ある。

 

まったく新しい斬新なインスタグラマー集団とか。全員パンストを頭に被ってるのに服装はすげーオシャレとか笑

 

パンストグラマー的な笑